
TUAW経由で、Planet//ROME.ROより。12/20の記事ですが、DOOMやQuakeの生みの親の1人John Romero氏(略歴はこちらで)が、NeXTに関する思い出をつづっています。
後に素晴らしいOS-Xを提供してくれることとなったAppleとNeXTの合併から、10年が経った。最初に動いているOS-Xを見て、FinderがNeXTSTEPの流儀でディレクトリを表示したり、待ち時間にカーソルがくるくる回るCDになったりするのを目の当たりにしたときのことを、今でも良く覚えている。そう!その時点で、OS-Xの根底にMachのどれかのバージョンが組み込まれていることを、強く確信したものだ。Jobsがその「力」を古巣へ持ち帰ったのだ。その後NeXTSTEPは、Macプログラマーが暮らしている開発環境であるCocoaにモーフ(変形)した。
NeXT Computers.orgでのお祝いをチェックしてみてほしい。そして、フォーラムを閲覧して、この伝説的な会社、彼らのハードウェア、彼らの未だに追随を許さないソフトウェアについて、もっと知って欲しい。
どうしてこんなにNeXTのコンピュータにこだわるかって?なぜならid Softwareで僕らは、DOOMやQuakeといった革新的なタイトルを、様々なハードウェア上で走るNeXTSTEP 3.3 OS環境で、ほぼ4年間に渡って開発していたからさ。今でもDoomEdやQuakeEdをObjective-C --こんなものはそれまでに存在せず、現在でも似たような環境は無い-- でコードした、素晴らしい時間を思い出す。
1991年の冬にid Softwareがウィスコンシン州Madisonに設立されたとき、僕らのほとんどはクリスマスホリデーで出払っていた -- John Carmackを除いて。雪と氷をかき分けて銀行から下ろしてきた自分のお金$11,000で買ったJohnのプレゼントは、ホリデーの間に届いたので、Johnはそのコンピュータについてできるかぎり学ぼうと、彼の全ての時間をそれにつぎこみ、ベクトル量子化アルゴリズムによる画像圧縮の研究を始めていた。彼のテストグラフィックスは、King's Quest 5からとった、256色のスクリーンだった。彼の研究が終わって、次のゲームの開発は、全社をあげてNeXTSTEPで行うことが決定した。
idの最初のNeXTハードウェアは真っ黒だった -- CubeもStationも。その後の何年かで、僕たちはTurboモデル、それからHP Geckoなどの別のハードウェア、最後にはIntelハードウェアにアップグレードした。僕たちは会社にある3種類のプロセッサ全てのために、ツールをファットバイナリでビルドしていた。1つの.appには3種類のプロセッサ全てのためのコードが含まれていて、どのマシンで実行しても、適切なコードを利用した。僕らの全てのデータはNovell 3.11サーバに保管されていて、NeXTSTEP Novellゲートウェイオブジェクトを常時使って、あたかも手元のNTFSドライブのように、透過的にファイルをサーバから出し入れしていた。1993年のことだよ!
実際、NeXTSTEPの偉大な力を使ったDoomEdの初期の具体例では、Carmackは彼のオフィスで、僕は僕のオフィスで、DoomEdは僕らのそれぞれのコンピュータで走っていて、僕らは同じマップを同時に2人で編集していた。僕が新しい壁を描いているその場で、Johnが構成物をあちらこちらに動かしているのを、僕の画面で見ることができた。共有メモリスペースに分散型オブジェクト。まさに魔法だ。

僕たちはDOOMとQuakeのコードを、全てNeXTSTEP上で書いた。僕たちはDOOMとQuakeを、NeXTSTEP上のコードのデバッグ画面の中の、小さなウィンドウに描かれた320x200のVGAスクリーンで、デバッグした。コードが全てバグ無しで走ったら、僕たちはそれをNeXTSTEPでIntelプロセッサ用にクロスコンパイルして、Intel DOSコンピュータに切り替え、EXEファイルをコピーし、ゲームを走らせた。DOSエクステンダーのDOS4GWが立ち上がって、ゲームが動き出した。簡単だったね。
1つ面白い、変な話がある:僕は左利きなんだけど、NeXTSTEPを使っているときは、右手でマウスを操作した。それで、ゲームをDOSコンピュータで走らせるときは、マウスを持ち替えて、左手でプレイした。Windowsは僕にとって、まだマウスを右手に持つほどしっくりきていない。
DOOM、DOOM II、Quake以外にもNeXTSTEPで開発されたゲームがあったことは、賭けてもいいけど知らなかっただろう。Raven SoftwareにHereticを開発委託したとき、僕は彼らにEpson NeXTコンピュータ(Intelベース)をいくつか買わせて、セットアップと僕らのツールやエンジンを使ってどのようにゲームを開発するか教えるために、ワイオミング州Madisonに飛んだ。それは絶対に忘れない、素晴らしい時間だったよ --彼らのチームが新しい環境のパワーにとても興奮しているのを見、彼らは実際にゲームを開発し、1年も経たずにリリースしてしまった。彼らは別のタイトルに関しても契約して、同じようにHexenをNeXTSTEPで開発した。
ホームベースに戻ると、Quakeの立ち上げで忙しくなった -- もちろんNeXTSTEPで開発したが、僕たちのツールとRogue Entertainmentの技術で、別のゲームも開発していた -- すごく面白くて、他に類を見ないアクションRPG、その名もStrife。残念なことに、ほとんどの人は、このゲームの名前を聞いたことがないだろう。というのも、僕らがゲームの権利を譲った販売会社が、発売そこそこで廃業してしまったからだ。もしこのゲームを見つけることができたら、絶対にプレイしてみるべきだ -- まったく爽快だよ。
1996年8月にid Softwareを去るとき、Windows 32プラットフォームへの移行の動きが進んでいた。John Carmackは、僕たちのエディターQuakeEdをWin32に移植していて、NeXTレスの未来の準備を整えていた。何ヶ月かすぐ後、NeXTはその宿命的なAppleとの合併を決定し、Steve Jobsが未来を変える、新しい時代が始まった。そう、再び。
それまでの時点で、僕は15年間を、Steve Jobsもその誕生に関わっていたコンピュータとともに過ごしてきた。最初はApple II+、次にIIe、IIgがいくつかに、最後はNeXT。いつか、あの元気なiMacも1台手に入れると思う。
posted by John Romero at 9:15 PM
彼の経歴を知ると、一抹の寂しさも感じられる文章ですね。